るっつのブログ

るっつが日々思ったこと感じたことを書き綴ります。

人は何のために生きているのか?

結論

(客観的な)生きる目的など無い。生きるために生きている。

生きて何をするか?個人の生きる目的は自由に決めて良いし決めなくても良い。

 

理由

「地球は何のために周っているのか」と同じ答えと考えられる。

「この自然物は何のために存在するのか」という点において両者は同じ類の質問である。ただ地球は物理的な性質により周っているだけで地球自身に選択の余地がないのに対して、人間は自分の意思で行動を選択できるので生きる目的も自身で決めることができる、というだけの違いである。

 

人はなぜ「人は何のために生きているのか」を考えるのか

  1. 生きていることに虚しさを感じるから。答えを知ることで充実した人生を送りたい。
  2. 昔に比べて職業や文化が多様化したため、生きて何をするかの選択肢が多すぎて何をして暇を潰せばいいか分からないから。やりたいことが見つからないから。
  3. 哲学的な興味から。

人は幸せになるために生きているのではないのか?

では裏を返すと不幸なまま死んだ人は皆んな無意味な人生だったというのか。世界の貧困や飢餓や紛争で苦しみ幼くして次々と死んでいく子供たちを前にしても、あなたは「君たちは幸せになるために生まれてきたんだよ」と説けるのか。確かに人は皆んな幸せになりたいという願望を抱いているとは言えるが、それが万人に共通する人生の目的かというと首を傾げる。

 

「生きるために生きている」では答えになってないのではないか?

A: 「君は何のために勉強しているのか?」

B: 「良い大学に入るためです」

A: 「何のために良い大学に入るのか?」

B: 「良い会社に就職するためです」

A: 「何のために良い会社に就職するのか?」

B: 「良い給料を貰うためです」

A: 「何のために良い給料を貰うのか?」

B: 「良い家庭を築いて良い暮らしをするためです」

A: 「何のために良い家庭を築いて良い暮らしをするのか?」

B: 「人生の勝者になるためです」

A: 「何のために人生の勝者になるのか?」

B: 「人生の勝者になれば幸せになれるからです」

A: 「何のために幸せになるのか?」

B: 「。。。???」

このように突き詰めていくと「それ以上の目的がないという最高の目的」というものがある。「生きるため」という目的もこの「最高の目的」だと考える。人間にとって「幸せになるための目的など無い」ように神様(いるとすれば)にとって「(人が)生きるための目的など無い」のではないか。

 

どうせ人は皆んな死ぬのだから生きても意味がないのでは?

それは地球も同じ。地球にも数十億年と言われる寿命があり、最後は太陽に飲み込まれるという説もある。人間も地球も含めて万物はいつかは滅ぶ。物理学的には素粒子レベルでの離合集散を繰り返し、新しい物質ができては滅び、形態を変えながら宇宙は続いていく。その宇宙ですら寿命があると言われている。だから人は自分が生きていることを宇宙の奇跡の一部だと思って、与えられた刹那的な生を全うすることだけに集中すれば良いのだと思う。

 

生きる目標や夢がない人には存在価値がないのか?

「犬や猫には存在価値がないのか」と同じ。全ての生物は生きていること自体に意味がある。ただし全ての生物のうちで人類だけが「生きて何をするか」を自己決定できる能力を持つに至ったので、夢や目標がある方がより人間らしい生き方であるとは言える。